Avec les fleurs

2016年9月13日

第13話 Pas à pas


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ここは 南仏サントロペ。

 


モナコ公国プリンス・アルベール2世後援の

舞踏会BAL DE L'ETE の装花のために来ている。


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依頼してくれたのはイタリアの由緒正しき貴族の家柄である

コロンナ家のプリンセス・キャサリン。

世界中からジェットセッターたちが集まるようなパーティだ。



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そして今回も装花を担当したアーティストとして、

キャサリンは舞踏会のディナーにおれを招待してくれ

多くの参加者たちから称賛の声をもらった。


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参加者たちも華やかな会場をとても喜んでくれていた。


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この仕事は、オープンしてすぐのころ、

パリ店のウィンドウを通りかかりにみたキャサリンが

こんな仕事があるけどできる?

と聞いてきてくれたのがはじまりで、今年は2年目となった。


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はじめて担当した去年は、パリで行われた。

会場は大統領官邸であるエリゼ宮の並びにある

アンテラリエという社交クラブ。

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下見に行きたいと言ったら

ちゃんとジャケットとタイをしてきてねと言われた。



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伝統のある社交クラブの壁に描かれていた

藤田嗣治の絵からしばらくの間、目が離せなかった。


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キャサリンは、例年花を飾る場所を一通り案内したあとに


でも、あなたの好きなようにしていいわと言った。

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このときもたくさんの人に喜んでもらい、

自分の中でも最高の装花ができた。

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パリ店をオープンしてから1年半。



日本では経験できなかった

たくさんの仕事をさせてもらっている。


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BAL DE L'ETE ともうひとつの自慢の仕事が

パリの5つ星ホテル LES BAINS PARIS への

アボンヌモン(定期契約装花)だ


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1980年代、世界中で一番クールなクラブは、

NYのスタジオ54かPARISのLES BAINS DOUCHES だと言われていて

デヴィッドボウイやミックジャガー、

アンディ・ウォーホル、グレイス・ジョーンズなどが

足繁く通っていた伝説的なクラブ

LES BAINS DOUCHES が改装され 

LES BAINS PARISというホテルに生まれ変わったことは

パリのおしゃれな大人たちの話題になっていた。


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そんなレバンの新オーナー、ジャン=ピエール・モロワは

もともとは有名な映画プロデュサーで

日本だと有名なのは トラン・アン・ユン監督で

イ・ビョンホンやジョシュ・ハートネットと木村拓哉が共演した、

『I COME WITH THE RAIN』 のプロデューサーでもあった人。


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なんとそのジャン=ピエールが

俺にパリの物件を見つけてくれた

ジェロームの友達だというではないか。


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ホテルがオープンしてすぐに、

ジェロームは俺をレバンにディナーに連れて行ってくれて、

ジャンピエールを紹介してくれた。


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その日はフラビュラスを渡し、

挨拶を交わしただけだったが、数ヶ月後連絡があって、

ホテルに花を飾ってほしいと声をかけてくれた。


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芦屋の店をオープンしたころ、

おれはジュルジュサンクのフォーシーズンズホテルに

花を飾るジェフ・リーサムの仕事を見て

こんなかっこいい世界があるのかと思って

何度も何度もその本をみていて、

店の飾り棚にもその本を飾ってあった。



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パリに店を出したいと思い始めたときに

パラスと呼ばれる5つ星ホテルよりも

格上の数カ所しか認められていないホテルに

花を飾るようなフローリストになりたいと思った。



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パリにきてみるとパラスと呼ばれるホテルももちろん素晴らしいんだけど、

パリの人たち目線でかっこいいホテルというのは、

こういうレバンのようなホテルなんだなぁと思うようになった。


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そんな最高の空間にさっそく花を飾れるようになったのだ。



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しかも、ジャンピエールもキャサリンと

同じように俺を業者としてではなく、

アーティストとして迎え入れてくれて

あちこちを案内してくれたあと、


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どこに飾ってもかまわいないし、

アツシの好きな花を飾ればいいと言ってくれた。


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彼らにとっては、花を選ぶ場合は、

花そのものを選ぶのではなくて

フローリストを選んでいると思う。


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フローリストというクリエイターの存在は

花と同じように、もしかしたらそれ以上に

しっかりと尊重されているのだ。

これはパリのフローリストたちの多くが

しっかり自分たちのテイストを打ち出しているという部分もあると思う。


こういう部分もまだまだ日本では俺たちの力不足な部分がある。



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素材も、職人の技術も、日本のフローリストは

もうパリのフローリストたちと肩を並べるか、

それを超えるようなところまできている。



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日本でつくられる花は繊細で、とても綺麗に梱包され、

傷一つない状態で入荷するものが多い。

市場に並ぶを花の輝きをみるとハウスでそだった花の光沢に感動する。



それに対して、パリの花は自然で育ったものの

力強い躍動感や、オランダの技術のなかで育ったものが

陸路で水に浸かったまま届いてるという

利点のある大きさや安さもある。



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写真集フラビュラスでみてもらっている、

普段の贈り物としてお客さんが買ってくれる特別な花束の

写真作品としてコラージュするような

花のバリエーションを求めると日本のほうがよい作品ができる。



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それに対して、空間を飾る。ということにたいしては、

まず素晴らしい空間が多いこともあるし、

花の自然な躍動感、大ぶりな花が安く大量に手に入ることもあり、

パリのほうがいい仕事ができる。


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そのどちらもをうまく取り入れて融合させてアイロニーの花を高めていく。

世界中の人たちにアイロニーの花を楽しんでもらう

コンテンツをもっと沢山みつけること。



それが、アイロニーが目標に掲げる 世界一好きな花屋 に

一歩近づくことかもしれない。



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いろんな仕事をやらせてらえるようになっても、

相変わらず、パリに店を出すということと、

綺麗と思える好きな花だけを束ねて仕事していくということは


まだまだいろんな戦いの連続だ。


いつまでたっても、どこまでいってもそれはかわらないかもしれない。



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それでも、15年やり続けて、


いまだに仕入れを行くときに眠い目をこすりながら

どんな花があるかなとワクワクする

これとこれを束ねたらどんなブーケができるかなとワクワクする

そしてなにより、これをあの人が受け取ったときに

どんな顔をするだろうとワクワクする。





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そんな仕事に巡り合えたことに感謝すべきだし


これからもそうやって毎日を暮らしたいと切望している。


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みなさんに気長に待っていただいて、

読んでいただいたAVEC DES FLEURS 

今回で最終話となります。



はじめは、パリ進出の裏話と絡めて、

人が花を贈りたくなるような話をと書いていたけど

読み返してみると自分の花のことばかりだったと反省しています。



より多くの人に花を贈ってもらうために、

おれもアイロニーもまだまだ自分を磨かなければいけない途中なのだと

いうことだと思います。


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これからも、自分たちの花を、

店を磨いて、たくさんの人たちにとって

世界でいちばん好きな花屋 になれるように

精進していきたいと思います。



読んでいただきありがとうございました!




jardin du I'llony 

谷口敦史

2016年7月10日

第12話 L'ouverture

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営業権の種別変更とファサードの変更の手続きで、

4ヶ月から半年は店をあけられないという

役所の手続きがあると聞かされ、

またしてもオープンが先送りに。。。



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ということにはならず。。。。




もう開けちまおうぜ。


ということにしました。


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結局、ファサードの変更はぜず、ガラスの内側に


ATSUSHI TANIGUCHI 
florist jardin du I'llony 
ASHIYA TOKYO PARIS

とロゴをはっただけ。


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テントは昔のボロのまま、

営業権の種別変更だけをして、はじめの数日間は、

種別は変更されていないという状態で

オープンするということにしました。



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アイロニーらしい見切り発車なフライングスタート。



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これで、おれはめでたく、


日本人ではじめてパリに支店をだした花屋



になりました。




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この数ヶ月後に青山フラワーマーケットさんが

どどーんと一等地にパリ店をオープンさせたので、

唯一のという称号はすぐになくなりましたが。




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3月にオープンできそうだということがわかったときに


どうせならこの日にしたいと思う日があった。



3月11日。



あの日を境に多くの日本人の人生が変わったと思います。




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おれは深刻な影響を受けたわけではないけども

たくさんの人たちが被害を受けたのを見聞きして




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おれは自分の花では被災地になにもできることがないと思い一度は失望したけど

すぐに身の回りの人に花を配ってそれを募金にかえることを思いつき、




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花のちから と名付けてそれをネット上の募金集めの

プラットフォームを利用してはじめた。




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たくさんの人が共感してくれた。


これは俺自身自分の気持ちを少しでも整えることに役に立った。




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花屋はいつも気持ちを穏やかに保つ必要がある。



自分の負のエネルギーを花に感じとらせてはいけない。

花はお客さんのところでその力を発揮しなければならない。




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あのときに、言葉では説明できないものを逆にたくさんもらって、

なにかをたくさん背負ったような気がした。




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あのことはきっと忘れることはないけど、

毎年少しでも気持ちが届くよう延々とつづくきっかけをつくりたかった。




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パリ店オープンのお祝いや周年祝いは花のちから募金へ 



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そう決めて、友人たちにたくさん手伝ってもらって、オープンの準備をいそいだ。




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結局店の工事はギリギリ間に合わず、什器が完成していないまま、一旦工事を中断して

予定していたオープニングパーティを決行することに。




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壁には今まで撮ってきた花の写真をパネルにしてかけた。




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パーティの準備も友人たちが手伝ってくれた。




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ひとつめの店のときとも、ふたつめの店のときとも、ちがう感覚。


出来上がってる什器をつかって初めてこの空間に花を飾って行く。




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花を飾るときに3つ目になってようやく気付いたことがある。


店には余白があるほうがいい。




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パリに来て感じたことのひとつに、日本の芸術の"間(ま)"の使い方があった。




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パリではお祭りの花火もバンバンバンバンと絶え間なく上がる。


間のなかにある美しさ。



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そして、店の余白には人が入る。



人が入ると花もさらに輝きを増す。


そしてその花がまたさらにその人に笑顔を生む。




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そういう店がいい店だと思う。




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3月11日の夜


たくさんの人がお祝いに来てくれた。


パリでたくさんの手助けをしてくれた人たち、フェイスブックで応援してくれていた人たち


同じ通りの人たちも来てくれて歓迎してくれたのも嬉しかった。




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他の二つのときと同じく、ゴールという感じはまったくしなかったけど、


世界がさらにひろがっていく感覚はものすごく感じた。




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ここからアイロニーの花がどう広がっていくのか。



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鳥が実を食べて飛んでいってどこかで糞をして種子が根付いて、、ちがうな。


タンポポの綿毛が風にふかれて飛んでいくように


植物の種子が何らかの方法で生きていく場所を広げていくような



そういう本能的な力を感じていた。




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à suivre...






2016年5月25日

第11話 Première

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少しずつ寒さもやわらいできて日も長くなり始めていた。


什器なども順調に出来上がっていて、いよいよオープンが見えてきていた。




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いやー、店出す前はいろんな人からフランスはいろいろ遅れるよ遅れるよと

いやというほど聞いてけど

全然工事とか遅れへんやんフランスっ!ちゃんとしてるやんっ!


そんなことを思いながら、

パトリシアのショールームの仕事の準備は工事中の店の中での作業となった。




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会場装飾と呼べるくらいの装花をパリで初めてやってみてわかったのは

日本と比べてはるかに仕入れが安く済むということ。




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小さなブーケを作るくらいだと、5、6種類入れようと思うと、

日本とそんなに変わらないんだけど、

大きな装飾をする場合は、枝物やアジサイなど大ぶりなものが特に安い。


花一輪もそもそも大きい。



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パリのフローリストの花を見ていてすごいなぁ、豪華だなぁと憧れていたのには、

ある種の素材においては、そもそも安く手に入るという理由も一つあるということがわかった



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春先で季節のいい枝が出ていたが、秋冬シーズンのファッションウィークということもあり、

黄色みのつよい大きなユーカリの枝とバラをたくさん仕入れた。



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日本でアパレルブランドと仕事をするときは、実売期の立ち上がりにシーズンを先取りするので、

春の装花が必要になるのは1月の中旬くらいで、

ちょうどその頃市場の方も春の花が最盛期となってくるのでちょうどいいんだけど、

パリのファッションウィークの仕事は春に秋冬の仕事をするということか。




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とはいえ、とにかく自分が綺麗と思えるものを。


クライアントの要望を満たしているだけの花ではなく、

自分自身が見惚れるような花を。



たくさんのバラを使ってパリ1区のど真ん中のウィンドウ側を華やかに飾った。



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アイロニーの装花のパリデビュー戦だ。



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パトリシアはとても喜んでくれて、その後も終始ご機嫌なようだった。

あなたをみんなに紹介したいから明日のパーティには必ず参加してねと念をおされた。



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翌日のパーティでは、パトリシアは忙しいにもかかわらず、

ほんとうにたくさんの人を紹介してくれた。



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パトリシアがPRを担当しているブランドの一つであるyucca'sという靴ブランドのデザイナーのゆかさんもそのうちの一人だ。

彼女はイタリアで靴を作る日本人で、イタリアの熟練の職人によるオールハンドメイドの靴は、

友人のバイアーに聞いたところによると、その辺のセレクトショップでは簡単に取り扱えない

品質も価格もトップクラスのものだと言っていた。




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そんな人とは思えないほど、気さくな人ですぐに仲良くなった。

彼女といろいろな話をしている時に、パトリシアの話になって驚いた。




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パリでは、この時期にプルミエールクラスという服飾小物の見本市も開催されている。

そういえばチュイルリーに大きな白いテントが出来上がり、その会場になっている。




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今はずいぶんと大きな規模になって商業的なものになっているらしいが、

スタートした10年くらいは、靴や帽子やバッグなどを作っているデザイナーに

とってはプルミエールクラスに自分のプロダクトが出展できること

一つの大きなステイタスだったらしい。



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そして、なんとそのプルミエールクラスを立ち上げたのがパトリシアで、

当時の厳しいセレクションを担当していたのも彼女なのだという。




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このときの仕事をサポートしてくれたエドワンというパトリシアの男性アシスタントに、

なぁなぁパトリシアってすごい人なん?と聞くと


有名な人で、彼女と働けることはとても光栄なことなんだよ!と興奮気味に話していた。



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そういえば、はじめての打ち合わせの時にそんなようなことを言っていたような気がしたけど、

イマイチ理解できてなかったようだ。



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しかし、そんな人がアイロニーの花を選んで、今たくさんの人に紹介してくれている。


これは本当に幸先がいいぞと胸が高鳴った。




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パーティには、もちろんバイヤーなどあちこちのファッション関係者が多く集まっているので、パリの人よりも他の国の人が多かった。




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花を褒めてくれる人たちと話をしていて、もう直ぐ店がオープンするからきてね、どこにすんでるの?

と聞くと、イタリアやアメリカなどいろいろな国の人がいることがわかった。



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あー、パリの人ならよかったのに、と一瞬思ったが、


パリに店を出すというのは、

こうして世界中の人に花を見てもらえるということで、




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マーケットが、パリにだけ広がったのではなくて、


世界中に広がったんだということを感じさせてくれた。




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そういうことを考えながら、たくさんワインを飲んで、パトリシアが陽気に踊り出すのを笑いながら

夜が更けていった。




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翌朝、信じられない知らせが届いた。


契約や手続きなどをサポートしてくれている会計士事務所からだった。




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店が通りに面したファサード部分は、変更に申請が必要だとうのは知っていた。

京都と同じように観光資源としても景観が大切なパリの街だ。

勝手なことを許すわけにはいかないだろう。




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その申請をお願いしていたのだが、

新しい問題が浮上した。




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ナターリアのお母さんが俺のために前の店子から買ってくれた営業権では

花屋はできないのだという。




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花屋はアルチザンといって手工業に分類されているので、

営業権の種類を変更する必要があるのだという。




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さいわいそれは、役所への申請だけで出来るそうなのだが、

問題は、その期間だった。




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営業権の変更の申請をして、

店のファサードの変更の申請もした場合、

役所の連動の関係で、両方が認められるのは早くても半年後になるのだという。




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思わず電話口で、「うそやーん」と笑ってしまったが、本当らしい。


しかし、会計士事務所の人は、

でも安心してください谷口さん、この二つの申請を同時にすることができるのです。

そしてそれを同時にするえば、許可が下りるのは短縮されて4ヶ月程度ですむのです。




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もう一回「うそやーん」と言ってしまったが本当らしい。

工事は1ヶ月で終わるのに、4ヶ月も空家賃を払い続ける?



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あれこれ話し合っても解決策は出てこないので、


違反したらどうなるかというところまで調べてもらった。


3百万の罰金もしくは禁固6ヶ月とか、なんかリアルな数字が出てきた。。。




さてさて、どうしたものか。。。。



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à suivre...







2016年3月22日

第10話 ciel nuageux

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鍵をもらっていよいよ自由に出入りできるようになった物件。

夜中に一人ボーッと過ごして店のことをイメージする。

陳列台と作業台。

どういう風なレイアウトが仕事しやすいかなぁと

あれこれ考えるために数日だがなるべく多くの時間を物件ですごした。



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内装工事は、この物件にたどり着く前に、見つけたものの

並びに花屋があるために諦めた1区の物件。


その物件を紹介したら俺より先に

スルスルっと出店成功した日本のアパレルブランド1LDK。


その内装を手がけたTEE PEE ARCHITECTSさんを紹介してもらった。



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船木レイブンという若い日本人男性と

フランス人の男女の3人の事務所で


1LDKのディレクター関くんから3人を紹介してもらったときに、

3人の雰囲気がとてもよくて気持ちのいい連中だったので、

彼らに頼もうと決めていた。


言いたいことを言って喧嘩はするが

お互いを認め合っているいいチームワークを感じた。




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内装工事と言っても彼らにはきっと物足りない

ほとんど花台と作業台と棚を作ってもらうだけの工事になった。



フランスでのこういう仕事はよく遅れるという話を聞いていた。




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古い建物ばかりだし、景観を守るための役所の規制も厳しく、

ちょっとしたトラブルが出てくると、

今日はもうできないなぁと職人さんたちが言い出して

帰ってしまったりするらしい。



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役所仕事がこれまた時間がかかるので、

その許可を待っている間に頻繁にあるバカンスシーズンに突入して

仕事が全然進まず予定よりも1年も遅れた

みたいな話はいろんな人から聞いていた。



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しかしそれらは、ほとんど飲食店の人の話だったし、

俺はもう、ここに什器だけを置いて

仕事をはじめるくらいのものだから

1ヶ月後には始めることができるだろうと思っていた。



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それにtee pee Architects の仕事は遅れないと聞いていた。

それは、メンバーのうちの紅一点でかわいこちゃんの

ローラの親父さんが大きな建築会社の社長で

その会社が使っている下請けの施工会社は

コロンビア人がやっている会社らしく

その人達は納期がしっかりしてるらしい。



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そして、ちょっと問題があると

大口の取引先の社長の娘ローラから怒られるので

おじさん達は頑張るらしい。




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ちょっとした工事だし、

ローラの助けもあれば遅れることはないだろうと

一月後のオープンを目指すことにした。




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依頼してる工事以外の部分は自分ですることになるので、

片付けやペンキ塗りの準備をしていたら、

ナターリアが家で友達が集まるから

アツシも飲みにおいでと誘ってくれた。




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仕事を終えて9時頃にナターリアの部屋を訪れた。

ナターリアの部屋には8人ほどの友達が集まっていて、

皆古くからの友人という感じで

ろくにしゃべることもできない俺が仲間に入るのは

ちょっと気がひける感じがしたが


すでに皆はフラビュラスを見て俺のこと知っていてくれて、

すぐに数人がいろんなことを質問してきてくれた。




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そして話していると驚いたことに

一人の女性がジェロームの元奥さんだという。

そうか皆古くからの知り合いで繋がっているんだと知った。



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そして、レナともう一人俺に色々と話しかけてくれた女性が

パトリシアという人で

彼女はファッションのPRの仕事をしていると言って、

ファッションウィークにショールームに花を飾ってくれる?

と聞いてきた。


俺は本当かなぁと思いながら、もちろん。と答えた。



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その日はナターリアが色々と料理を作ってくれて、

それが本当に美味しくて、たくさんワインを飲んで

皆が色々と聞いてくれるので、

上機嫌になってあいかわらずの英単語でいろんなことを話した。




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後日パトリシアから本当に連絡があった。

ショールームで打ち合わせがしたいと言う。




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パリでのファッションウィークは 

1月に春夏のオートクチュールコレクション(仕立て服)

2月に秋冬のメンズコレクション

3月に秋冬のプレタポルテコレクション(既製服)

7月に秋冬のオートクチュールコレクション

7月に春夏のメンズコレクション

10月に春夏のプレタポルテコレクション

というスケジュールになっていて、

これらを総称してパリコレと呼ぶそうな。



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ファッションウィークには世界中から

メディアがショーの取材に来たり、

バイヤーたちが買い付けにやって来る。

そんな展示や受注のスペースとして、たくさんのショールームが存在する。




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パトリシアからのメールを見てみると

彼女はPLCという会社をしてるらしく、

幾つかのブランドのPRをしているようだった。


ショールームも二つの場所で展開していて、

そのうちの一つに花を飾りたいという感じだった。




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まぁ、とにかく現場を見てみないと

どういう花が綺麗かとか飾れるのかどうかもわかんないし

現場を見せて欲しいと頼んで、現場で打ち合わせすることに。




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なんだか初仕事にドキドキしながら、

一人でなんとかしていかないといけないので

全然打ち合わせなんてできる気がしなかったが、

片言の英単語だけを抱えて


パトリシアのショールームへ向かった。




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そこはパリの真ん中1区のさらにど真ん中。

パレロワイヤルのすぐ近くに、立派なショールームがあった。




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パトリシアとアシスタントの男性がやってきた。

パトリシアは出会った夜と同様、

ちょっとご機嫌な感じで、

アツー!元気ー?と再会を喜んでくれた。

相変わらず陽気な人だ。




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ショールームはゴテゴテとして

装飾が歴史を感じさせるという感じは全くなく、

内装はシンプルな感じだが

所々に使われている素材などで高級感が感じられるスペースだった。




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ひと通り中を案内してもらった後、

アシスタントの男性がキャフェを入れてくれ話をすることに。




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顧客に送る招待状には白地に

小さなバラの絵がたくさん書かれていて、

パトリシアはポエティックな

雰囲気の花が必要だみたいな事を言っていた。




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スペースは、どこに飾ってもいい。

あなたに任せる。というような事を言っていた。


どう?と聞かれて、うん。OK。と答えた。


本当にただOKとだけ答えたので、

パトリシアは少し拍子抜けしたみたいな感じだった。




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日本だと失敗しないよう細かい話を詰めましょうかと

いうことになるんだけど、

なにぶん知ってる英単語の数も限られてるし

パリに来てやりたかった仕事というのは、

クライアントの思ってる事を形にしていくことではなくて

俺が綺麗と思うものを飾って

それを喜んでもらうことなので、

わがままに好きにやらせてもらおう。と思った。




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とにかく本当に自分が綺麗と思えるもので勝負してみたい。

失敗を少なくしてこぢんまりまとめるよりも、

大きく成功する方を試しに来たのだ。


それに、俺はもう一つ決めていたことがあった。




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クレモンスとジェロームから繋がった縁は

途切れないようにつなげていこうと決めていた。

物件のオーナーの娘さんであるナターリア。

そしてナターリアから今度はパトリシアへ。


この縁には何かきっと深い意味があるような気がしていた。




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オープン前から仕事が決まるなんて幸先のいいスタートではあるが

喜んでばかりはいられなかった。




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パリ進出を決めて毎月20日パリで過ごすようになって、

9ヶ月が経とうとしていたが、

この間に日本の二つの店のことがおろそかになっていた。




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俺が店を離れることで各スタッフの仕事は増え、

オーナー不在=品質低下ということに

ならないようにという重圧もあった。

パリへの挑戦は色々な面で

ほとんど準備ができていない状態で動き出した。




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俺一人ならそういう無理は何度も乗り越えてきたので慣れているけど、

スタッフにもそれを強いることになってしまった。


現場にいないということは

思った以上にスタッフに与える影響が大きかった。




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あちらこちらから不満が聞こえてきて、

辞めてしまうスタッフが出てくると

さらに残ったスタッフたちへの重圧は増えた。


それでもを信じてついてきてくれるスタッフたちも

仕事を楽しめている状態とは

決して言えないような状況になっていた。




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本当にパリに店を出す意味があるのか?

俺のエゴであって、みんなの目標ではない。

本当にお客さんにとって世界一好きな花屋を目指すなら、

日本の現場いてもっと他にするべきことが

他にもたくさんあるのではないか?




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FacebookやHPを通じて

日増しに応援してくれる人が増えるのと反比例するように

スタッフのモチベーションが

下がっていっているかのように思えた。




それでも、やるしかなかった。




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13年毎日思い描く理想の花屋を目指してやってきて、

四六時中考え抜いて出来上がった理想の形だ。


芦屋の店にずっといて、隅々までこだわった

一つの店というのは確かにいい店かも知れない。

でも、それではいつまでたっても超えられない壁があると感じていた。




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東京に店を構えることで

引き受けることができる仕事によって

俺自身もスタッフも成長して、店がレベルアップできる。


パリの仕事からそれを得ることはもっと大きく、

他のどこの花屋にもできていないことだ。



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例えばパリの有名店で数ヶ月研修をして得られる経験と、

アイロニーとしての花でパリで仕事をして得られる経験とは


全く種類が違う。


この挑戦こそがたくさんの人にとって

アイロニーを世界一好きな花屋にしていく最善にして最速の道だと

何度も自分に言い聞かせた。




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冬のパリは日が短く、朝も8時になっても薄暗い。

明るくなってきても晴れ間が見えることも少なくずっと曇っていて、


オープン間近だというのに気分がすっきり晴れることはなかなかなかった。




à suivre...







2016年2月12日

第9話 la confiance

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クリスマスがおわり新年を迎えてもパリではノエルの飾り付けはのこったままだ。


アトリエ(兼住まい)と店予定地のちょうど真ん中に位置するヴィクトルユーゴー広場の噴水も


この時期はダサいクリスマスツリーが数本飾られていてテンションが落ちる。



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しかしこれがあるからこそ、暖かくなって天気のいい日に


噴水から水が天高く吹き出してるときを見たときの


気持ち良さがある。あー、はやく春にならないだろうか。



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市場にも未だにペイントした木が残っていたりして、やる気ない感が半端ない。


近郊の生産者たちのブースも休んでいるので


オランダやイタリアからの花材のみで仕入れをすることになる。



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日本ではもう色とりどりなスイトピーや切り花のパンジーが出回っている頃だが


パリには切り花パンジーはないし、


スイトピーも一月ほどずれていてもう少し経ってから出回り始め


初夏のころまである。



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今はラナンキュラスが中心にある。



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クリスマスローズ(特に原種のもの)は、フォイヤジスト(葉物専門ブース)にも並び


葉物と同じような価格で出回るので、値段を何度も確認するようなことがある。




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日本との素材の違い(価格も含めて)を自分のものにすればもっと創作の幅を広げていける。



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いよいよ進みだした店舗の契約は、

契約書が出来上がるのをまって、

サインをして、

内装工事をして、

アイロニーパリ店のオープンだ。



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内装工事は、今までの日本の店のようにペンキを自分で塗って、


中に机や棚など什器を入れるだけですまそうと思っているので、


契約後一月もあれば始めらるはずだ。



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ナターリアのお母さんであるマダムピションが営業権を買い取ってくれるために


もう一度確認の電話をしてきてくれた。



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パリに店をもちたい人たちにとって大きな障害の一つである


高額な営業権(その場所で商売をする権利で店子が所有していて通常次の店子に売買していく)を


マダムが俺のために買ってくれるというのは本当にラッキーなことだ。



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しかも始めの不動産屋から聞いていた50万くらいの費用が必要な契約書の作成費用も


マダムピションの弁護士が契約書を作成してくれるという。



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本当にクレモンスやジェローム、そしてナターリアとの出会いに感謝するばかりだ。



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さていよいよこの日のために雇ったといっても過言ではない


Cという公認会計士事務所の出番だ。




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C社は公認会計士事務所だが、日本企業のサポートが業務の中心のようで


進出に関するするサポートもしてくれる。


そのために、事務所には弁護士もいて、契約書のチェックもできる。



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契約書の草案が出来上がってきた。


日本のそれよりもはるかにボリュームがある。



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早速C社に持って行き不都合がないかということを確認してもらう




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ナターリアは契約書にサインするスケジュールをいつにしようかと聞いてきた。


マダムピションの弁護士の事務所に集まり、全ての確認をしながら双方のサインをしていくのだという。


そしたらその日に鍵をもらって物件の工事に入ることができる。




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契約書については、C社とマダムピションの弁護士との間でやり取りを進めてくれていた。




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おれはもうすぐにでも出来上がってサインして工事に入って、と


考えていたのだが、ここでまだ問題が発生した。




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C社から契約書にたくさんの不備がある、


このまま契約すると谷口さんにとって不利な内容がいくつもあるというのだ。




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C社は弁護士にそのことを伝え、不都合な箇所を修正したり、


必要な内容を追記するように話してくれた。




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そしたら、ナターリアから連絡があった。




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アツシ、契約書について、あなたの代理人から、弁護士に連絡があったらしいんだけど、


契約書はあなたにとって不都合な部分はなにもないはずなのよ。


今回は母が営業権を買い取っているし、あなたはその費用を負担する必要はない。


そしてもし、あなたがこの店をだれかに売るときは、売る権利もあなたにあるの。


母が買い取った額以上で売れれば、あなたは母が買い取ったときの額を支払えば


その差額はあなたのものよ。


もし買い手がなければ売らずにでていくこともできるわ。


あなたにとってとても有利な契約のはずよ。



という内容のものだった。




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そうだ。知ってる。本当にありがたいことなのだ。




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しかし、C社によると、そのことについても一部表記が曖昧な部分があるのだとか。


その他にも、もし建物にトラブルがあった場合の負担する割合なども曖昧な部分や表記されていたいないところ


現状がどうなっているのかなどの証明書などが添付されていないという。




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双方から話を聞いてみて、これはどうやらどちらかが嘘をついていたり、


まちがっているというわけではなく


感覚のずれによるものだと思った。




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ナターリアたちは、今までいくつもの物件を人に貸してきていて、


今まで通りのやり方で契約書を作っている。


しかも、今回は古くからの友人の紹介だ。




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それに対して、C社は今まで、日本からの進出企業の物件契約をサポートするなかで


数えきれないほどのトラブルを経験してきている。


慎重になるのは当然で、




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ナターリアたちからすると、営業権も買い取ってあげて、


個人的な信頼関係のある人間同士の特別な契約なのに、



代理人から、いままでもとめられたこともない書類や記載を念のために用意しろと言われる。




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双方の考えもわかる。



わかるが、さてこれはどうしたものだろう。。




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C社はこのままでは、契約書にサインをするときのサポートはしないとまで言い始めた。




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ここにくるまでフランス語も全く話せず、片言の英語でなんとかやってこれたのは


いろんな人がおれを信用してくれて、それに応えられるように心を示してきたからだと思う。




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安心できる言葉を並べることができないので、


心配しないでとだけ言って、行動と花でそれを伝えてきた。


信頼を得るということには、言葉が不自由な分、全神経を相手に傾けて行動してきた。


まだまだ短い間だが、ジェロームやクレモンスたちとの友情や信頼は大きな財産だった。




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数日間、このやり取りで板挟みになった。





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C社からナターリアたちに直接コンタクトをとって


このおれの気持ちフランス語で説明してくれない?と話したんだけど


向こうが弁護士を通してきてるので、直接やり取りすることはできないとかいうし。。




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あれこれ悩んだ結果


ナターリアにはつたない英語で、自分の考えをなんとか話して


代理人たちの状況、マダムピションへの感謝、を伝えて




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双方の面目が立つように、


追加で必要になるであろう弁護士の費用の負担、


契約が遅れていることで発生していない家賃の負担を申し出た。




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結局、ナターリアたちも おれが外国人であることを再認識し


自分たちの考えからは過剰なほどの代理人の対応も理解してくれ


契約書をC社の言う通りに書き換えてくれた。

追加の弁護士費用も、家賃を請求することもなかった。




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数日後


トロカデロ広場に面した建物にあるマダムピションの弁護士の事務所で


ついに契約書にサインすることができた。




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ものすごい数の書類に印鑑ではなく、なれないサインを何度も何度も書いた。


イニシャルだけでいいところと、正式なサインのとこがあって、


マダムピションの代理人という形式でサインしているナターリアをみていると、


当たり前だが、両方すらすらっと書いていた。




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さぁ、これでいよいよ契約締結だ!


と思っていたが、ここでもまた障害がたちはだかった!




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数種類、しかもそれぞれが10数枚ある契約書へのサイン。


ナターリア、俺のサイン、ときどき弁護士のサインもするもの。




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その作業の段取りが異様に悪い!!!




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何度も同じ書類が回ってきて、いやこれもうサインしたから。


あっ、これできたと思ってたら、ここだけお前のサインないやん。


みたいなことを延々と繰り返す。。。




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イライラしたおれはちょっと待て!と言って書類を一旦整理し直し、サインする順番を仕切り直し


ようやく全ての契約書に全てのサインをし終えることができた。




苦節、8ヶ月!!


ついにアイロニーパリ店の鍵を手に入れました!!





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次回はあらたなキーパーソンとの出会いと浮き彫りになった問題について。





à suivre...

2015年12月21日

第8話 la possibilité

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夜10時まで日が沈まず晴れの日が多い6月の代償のように、


冬は日も短く寒くほとんどの日が曇り空のパリ。



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寒さとともにランジス市場の花たちの顔ぶれも変わってくる。



パリ近郊の生産者が持ちこんでいるブースが並ぶ一角も、


生命力が溢れていた季節から徐々に活気がなくなってくる。




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ノエルのデコレーションに使われる赤やゴールドやシルバー、


白などにペイントされた枝や花は日本でも見かけるが、


フランスの市場の方がはるかにたくさん見かける。



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最近はツリーにも白だけでなく赤やピンク、黄色などさまざまな色のパウダーが


吹き付けられたものがあちこちのブースに並んでいる。



こういう着色した自然な美しさではないものはアイロニーではほとんどつかわないので、


枝物の選択肢はどんどん減ってくる。



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しかし、冬になると日本と同じように春の花が出回り始める。


ラナンキュラスやチューリップ、ヒヤシンスやムスカリなどなど、楽しくなってくる季節でもある。




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モミのことはサパンというようだ。


日本でもよくみかけるオレゴンからの輸入のモミはランジス市場でもみかける。


シルバーがかったそれとはちょっと色が違うのが国産つまりフランス産のモミ。


フランス産のものは、日本のものと色は似ているが枝がとても柔らかく垂れ下がる。




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素材の微妙な違いでデザインは大きく変わってくる。




日本と同じようにできないことよりも、


いままでつかったことのない新しい素材が多くあることが本当に嬉しい。



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パリのアトリエでのレッスンには思っていた以上にたくさんのお客さんが来てくれた。


いままでのアイロニーの生徒さんだけでなく、


パリの花に興味のある人がパリ出店に挑戦している花屋の花を見てみようという方。


韓国で行ったデモンストレーションとレッスンの様子を雑誌でみたという韓国のフローリストも来てくれた。




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どの人ともマンツーマンのレッスンで、じっくりいろんな苦手部分を聞いたり、仕事の経験談を話したり


日本とは違うレッスンのスタイルは逆にこちらが気づかせてもらえることも多かった。




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そして、車をつかいはじめたので、この頃からパリ郊外にも足を伸ばし始めた。


バルビゾンやジヴェルニーなど、画家たちが愛した田舎の風景は今も残っていて、


車を一時間も走らせれば、その時代にダイムスリップするような感覚を味わうことができた。



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花屋を始めた頃から意識していたことに、流行にアンテナを張りつつも


それよりも大事なことは自然の中にあると思って草木を見て感じることを大事にしてきた。


パリの人たちに喜んでもらえる花を束ねるには、パリの話題のスポットを巡ったり、


人気の花屋を巡ることよりも


フランスの田舎の自然の風景に触れるべきだと思っていた。



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どこにいっても感じることは、自然の豊かさだった。


イネ科の植物をグラミネとよび、雑草のようなものも昨今は花材として流通している。


そういうものも、ここでは誰かが肥料をたっぷり与えたかのように所狭しと生い茂り


溢れるような生命力を感じさせる。



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誰かが手をかけて育てているわけではない、


森に生えている木に甘い果実が見たことないくらいたくさんなっていたり。


環境のあった地域での自生植物のパワーというのは素晴らしいものがある。




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ベルサイユ宮殿のような絢爛豪華な文化遺産というのは、


こういう自然の豊かさを背景にもっているんだろうなぁと


ひしひしと感じる。



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こういう豊かさを背景にもった美しさの中にいると、


日本の限られたものの中で生まれた研ぎ澄まされた美しさというのが際立って美しくみえ、


日本の伝統文化の美しさをリスペクトしているフランス人が多いことがよくわかる。




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だけどわれわれ日本の花屋の多くはパリの花に憧れ、


そしてアイロニーのそういう花でパリで勝負しようと思ってここに来ている。




結局のところ、こういうテイストが売れるからと狙ってすることはできないタチなので


今まで通りに自分を磨いていくしかない。




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日本で仕事してきたのと同じ。花屋は人間力だ。


花の出来も仕事の出来も会社の出来も、自分を写す鏡。



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そんなことを思いながら日々、パリの花に、パリでの花の仕事に向き合っていたころ、



ナターリア(物件オーナーの娘さんでジェロームたちの幼馴染)からメッセージがあった。


それは目を疑うような内容のものだった。




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そこには、


フィリピン人との裁判が長引きそうなこと。


二つ隣の物件もマダムの持ち物だということ。


その物件は賃料は同じ額だが、営業権を前の借主が保有しているということ。






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そして、ここからが何度も何度も見返したのだが、





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もしあなたがその物件を見て気に入れば、


15万ユーロ(2000万円ほど)するその営業権を


マダムがおれのために買い取ってくれるというのだ。





すぐにコートを羽織って、ヴィクトルユーゴー広場を挟んだ反対側の物件のほうに走って行った。




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ナターリアが言っている物件は空くのを待っていた物件より広場寄りの二つ隣で


チョコレート屋さんが入っていた物件だった。




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内装はきれいで、いろいろなものをどけて什器をいれるだけで花屋ははじめられそうだった。


すぐにナターリアに連絡して、中を見せてもらうことに。




地下も20平米と十分な広さがあり、家賃は予定よりもいくぶん高いけど、


ギャラリーを併設して自分の撮った写真を飾ったり


日本のクリエーターに貸し出しできるスペースとして使うというアイデアも形にできそうだった。





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その場でマダムにお礼を言って、ここで始めたいと伝えた。




ついに!!店がはじめられる!!!



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クレモンスから始まって、ジェローム、そしてナターリア、そしてナターリアのお母さん。


出会いがどんどんつながって、ここまでたどり着くことができた。



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本当にありがたいことだけど、


人がちからになってくれることについて


どうしてこんなにも恵まれているのか。


答えにはなっていないけどパリに来て考え方がかわったことがある




いろんなことに触れて、断片的ではあるがそれらがつながる気がした。




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ちからになってくれたフランス人のうち、ジェロームとナターリアはアーティストだ。


ジェロームは服飾小物やアクセサリーからオブジェまで、


ナターリアは彫刻などを。


そして、二人ともものすごく裕福な家柄だ。





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別の友人が教えてくれたんだが、


本物のアーティスト同士は争わない。というような言葉があるらしい。


彼らは、他者のゴールが自分のゴールであることを知っているからだと言う





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パリに来て感じたことに、


日本よりもアートが身近で、アートの価値が高い。


アーティストという人種も日本よりも多いように思う。





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そして裕福な人たちほど、お金の価値をきちんと知っていて、


長い歴史からの経験で、或る日突然お金というものがなんの意味のないものになるということも考えている。


もっていないおれからするとやたらお金のことを考えて手に入れたいと思うけど、





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もうすでにもっている人からすると、お金以上の価値を生み出すもの、


かわらない価値をもつもの、



そういうもののほうが価値があると考えているのではないかなと思った。



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最初は、お金持ちは働かなくていいので、アーティストという生き方を選べる。


貧困の中、それしかできないからと絵を描いていたような人こそが


本物のアーティストのイメージみたいなのがあったけど、


それはなんだか違うんだなということを感じた。





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よく言霊だ言霊と、叶えたいことは口に出したほうがいいと言っている。


そうすると誰かが力になってくれることもある。




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これは大事なことだと思うけども、ただそうしていればいいというわけではない。


力の配分でいうと1パーセントも必要ない。



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本当に大事なことは、

100パーセント心血を注ぐべきものは、



本当に価値のあるものを生み出すこと。



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手を差し伸べてくれている人たちは


その可能性を感じてくれているからだ。



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この地で本当に価値のあるものを生み出す必要がある。







à suivre...






2015年11月 9日

第7話 Atelier





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韓国から帰ってきて、日本では芦屋と青山での仕事の他に


岡山でのレッスンと新潟での大きな結婚式の打ち合わせにと移動しまくる日々だった。



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たくさんの人と会うたびにパリへの挑戦の期待の大きさを感じた。




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日本でいる間に、ネットでアトリエとして仕事を始める物件を探した。




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アイロニーパリ店予定地からヴィクトルユーゴー広場を挟んでちょうど反対側。


店からは200メートルくらいだろうか。


凱旋門までまっすぐ伸びる大きな通りアヴェニューヴィクトルユーゴー沿いに


ちょうどよさそうな物件を見つけた。




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パリの住所は日本のように地区ではなくて、すべての通りに名前がついていて、それが住所になっている。


rue というのが 通りのことで パリ店予定地の通りは 3 rue Mesnil (メニル通り3番地) 


Avenue がついてると大きな並木道になる。並木がなければ大きくてもrueらしい。


Boulevard というのも大きな並木道だけど、城壁跡の環状の並木道のことらしい。


番地もわかりやすくて奇数側と偶数側に分かれていて順番に1.3.5.7と2.4.6.8と並んでいる。





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さておき、 


なるべく店予定地に近くて、


たくさんの花を運んだりするのに大変じゃないように1階

(パリでは0階といい日本の2階が1階になる)、


住居兼アトリエの生活感があまり出ないように2部屋ある物件を探して


探していた通りの物件がみつかった。






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激しい日本での移動のなかでの仕事を終えて10日後にまたパリへ。




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今回から空港で車を借りることにした。


ベリブというパリ市内のいたるところにある貸し自転車の自動車版でオートリブというのもあるんだけど、


パリはレンタカーが意外と安く、週に何度か仕入れだけでも、20日間レンタカーをしてしまうのと大差なかった。



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左ハンドルのマニュアル車で右側通行というのはすぐに慣れたが、


ほとんど文字情報がわからないので、微妙な交通ルールの違いは肌で感じながら覚えていった。



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例えば、空港からパリへ向かう高速道路では、想像通り日本とは反対で一番左側が追い越し車線だ。


日本よりも時速20キロくらい早めが平均的な感じだ。




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一番左側を走っていると前の車がやたらと左端を走っている。


なんだろう。その前の車も超キープレフトだ。



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不思議だなぁと思っていると、ガンっ、というのでなにかと思ったら、


バイクが右側を追い越しざまに、車を何度か殴っていった。




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えー!なにー!と思っていると次々とバイクが追い越していく。




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どうやら、一番左側の車線の右側はバイクの通り道のようで、


バイクが通りやすいように車はなるべく左側に寄っているようだ。


俺がずっと真ん中を走っていたので邪魔になっていたらしい。





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しかも、そのバイクが殴っていったときにサイドミラーをたたんでいったので、車線変更が困難になった。


高速だし信号などで止まらないので身を乗り出してミラーを直すこともできない。




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無理だとわかっていながら窓を開けてみて運転しながら


反対側のミラーに手を伸ばしてみて全然届かないという絵は自分で笑ってしまうくらい滑稽だった。



やれやれ。



そんなパリ車社会の洗礼を浴びながらなんとかアトリエに到着。




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待ち合わせの時間よりさきに家主は来ていて迎えてくれた。


中庭を抜けて奥の方に歩いていくと、おそらく昔は馬車をいれていたんじゃないかという小屋のような駐車場があり


そのさらに奥に小さな庭と小さな小屋のようなメゾネット。


1階にリビングとキッチンがあり、2階に寝室とトイレとシャワーがある。


よくみると、鉄格子が残されていて、馬小屋だったことに気づいた。



悪くない。



家主は親切な人で、庭部分とその前にある小さな倉庫も自由につかっていいと言ってくれた。





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荷物を解いたら、パリの少しだけ外側にオフィスを構えている、会計士事務所へ。


この会計士事務所が、弁護士も抱えていて、多くの日本企業のパリ進出を手助けしている。



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事務関係は日本でも苦手なので、プロに任せるようにしていた。


サポートを頼んでいたのは、店の物件の契約のチェックと、支店の設立と、代表者のビザの取得。



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事務仕事は日本語でも苦手だし、お役所系のトラブルで出店が遅れる話を嫌という程聞いていたので


プロに任せることにした。





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フランス語が話せないとパリで仕事が出来ないということはない。


言葉ができないから挑戦できない、というのは違うと思うが、


言葉ができないとお金も機会もたくさん失うことになる。




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事務所を訪れると、支店設立の資料がそろってた。


あまりの書類の多さとサインするところの多さに、これには挑戦しないでよかったとおもった。




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書類の説明を受けてサインを。



大きな一歩前進だ。




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これでアーティストビザとか代表者ビザとも呼ばれるコンペタンスエタロン(能力才能ビザ)




という3年ビザがほぼほぼ間違いなく取れるという。




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そして、この月からフライングではあるが、アトリエでのレッスンの募集をはじめた。



パリならではの素材をつかって、日本では受けることのできないマンツーマンでのレッスン。





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さっそく、数名の方から申し込みがあり、日本でのように花屋の仕事らしい仕事を始めることができた。


日本のお客様からパリにオープンされる店へ祝い花や、遠く離れる家族への誕生日のお祝い花などもちらほらと


注文をもらうようになった。




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こういう部分は日本での12年の基盤があるからこそで、


まったくのゼロからのスタートではないことを強く感じる部分だった。




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眠い目をこすりながら早朝ベッドを抜け出して


ランジス市場へ車で向かう。



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仕事と車があって、お客様がいる。

前よりもたくさんの花が仕入れられることに心が喜んでいるのを感じた。



俺は花屋だ。




そう思った。そんなことがこんなにも誇らしいことだとはずっと日本でいたなら気づけなかったかもしれない。



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アトリエに帰ってひとりで黙々とたくさんの花の水揚げをしながら、



花屋の門戸を叩いたきっかけを与えてくれた映画のセリフを思い出していた。





"人々を笑顔にすることができる。花屋は世界で一番素晴らしい仕事だ"




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もうこのアトリエでも十分仕事ができる。



そう思い始めた頃に、待ち続けていた店の物件が急展開を見せる。





 



à suivre 

 

 

 

 



2015年9月18日

第6話 Reprise


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判決がでると聞かされていた10月になっても、話が進む様子はなかった。

 

このままではオーバーステイになって滞在すらできなくなるということで、

 

予定していたパリ滞在を早めに切り上げて帰ることにした。

 

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急な変更だったので、安いチケットを探していると韓国経由のチケットが出てきた。

 

 

そういえば、最近フェイスブックをみていると韓国のフォロワーが多い。

 

韓国の人からのメールで、写真集フラビュラスを買いたいという問い合わせも頻繁に来るようになっていた。


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パリの人気フローリストが韓国の人たちを対象にしたレッスンで成果を上げているのを数件見ていたので

 

これはいい機会かもしれない、この時間を利用して韓国にも種を蒔きに行こうと考えた。

 

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パリに店をもつということはファッションの世界と同じように、世界を相手に仕事をするということだと思う。

 

 

世界中がパリの花屋に仕事を依頼する。


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もちろん一握りの仕事が一握りのフローリストに、ということだけど。

 

 

パリでトップになれば、世界中のひとに見てもらえる。


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自分が綺麗だと思う花を生け続けてたくさんのひとに喜んでもらうには

 

できるだけたくさんのひとに知ってもらう必要がある。


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パリに店を出したあとにはきっと韓国からの仕事の依頼も多くあるにちがいない。

 

 

そう思って韓国を下見しておこうと思った。


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市場にどんな花があるのかを知っておけば、仕事を受ける時のイメージの元になる。

 

 

そう、下見のつもりだった。

 

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それなのに、そのことを嫁に話すと、もうせっかくいくんやったらレッスンとかしてきたら?

 

と無茶振りをしてきた。

 

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無茶振りだけど、まぁパリ出店なんてもう十分無茶なことしようとしてるなぁと思ったら、

 

まぁやってみてだれもこなかったらこないでもいいかぁと思い、

 

友人に翻訳をたのんでフェイスブックで告知をしてみた。

 

 

韓国に行くんだけど、レッスンとかデモンストレーションに興味のある人いたら連絡ください。

 

何人かあつまったら開催します。

 

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そしたら、すぐに5、6件の問い合わせがあった。

 

 

そのなかの一人に、

 

『わたしはソウルで花屋をしている、そして教室があるので、

 

わたしの生徒のためにレッスンとデモンストレーションをしてくれないか?』

 

といってきてくれたい人がいた。

 

 

おれほどフェイスブックを活用してる花屋がいるだろうか。と思いながら

 

すぐにその話にのっかった。


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そこからメールでやりとりをしながら詳細を決めていった。

 

韓国について、市場を視察、素材を見て、レッスンとデモの内容を決めながら軽く仕入れておいて

 

二日後の市場でがっつり仕入れる。

 

というような青写真を描いていた。

 

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そしたら、協力してくれるハンさんが、

 

うちの生徒さんは日曜じゃないと集まりにくいから、日曜にデモをしてほしいという。

 

おれ韓国に土曜に着くっていうてるやん。といいながらも

 

あれこれ話し合った結果、やはり日曜にデモをすることに。


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 ハンさんもとても不安だというが、仕入れを任せるしかない。

 

ある程度デモの計画を頭のなかで組み立てて発注する。

 

 

なにがあってなにがないのかもわからないので、かなり難しい。


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おれの組み合わせは、ちょっと一つの素材がかわるともう綺麗じゃない。

 

ひとつ素材が手に入らないということは、その他の花をすべて無駄にすることにつながる。


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気候やオランダかのの輸入素材のことなどを考えて、おそらくあるだろうなという素材だけでできるプランを考える。

 

せっかくPRにきてるのに、しょーもないものつくってたら何の意味もない。

 

 

ベストの選択をして、あとはこのあったこともないハンさんを信じるしかない。


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なかなかおれに門戸をあけてくれないパリにお別れをして、いざ韓国へ。


ハンさんが空港に迎えに来てくれて初顔合わせ。

 

 

思いつきで韓国に行こうかなとつぶやいて、空港に迎えに来てくれる仲間がいるというのは

 

花の世界は本当に素晴らしいなぁと思う。

 

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ハンさんはおれより少し年上の女性で、彼女の店はソウルアートセンターという施設の中にあるらしい。

 

彼女も英語があまり得意ではないらしく、日本語の話せる生徒さんと一緒に来てくれていた。

 

デモのときも通訳を担当してくれるという。

 

 

ハンさんはおれのことを海外の有名なフラワーアーティストのように思っていて

 

こんなイベントをするのは初めてなのでとても不安だった。と言った。

 

常に危機感のないおれは、大丈夫。きっとうまくいきますよ。楽しみましょう。と言った。

 

 

きたこともなかった外国で自分の花を評価してくれている人がいるというのはとても嬉しい。

 

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車で数十分走ったあとに、ソウルアートセンターにつき、ハンさんの店フレグランスに到着した。

 

 

数人いたスタッフの女の子たちもちょっとした有名人が来たような雰囲気を醸し出してくれていた。

 

 

ハンさんは仕入れた花をおれが気に入らないことをとても心配していたようで、

 

他にもたくさん花を仕入れてくれていた。

 

思っていた通り、半分くらいは使いづらい素材だったが、買足してくれていたものを選んでプランを変えることにした。

 

これには少し時間がかかりそうだったし、その場で黙って考えていると、ハンさんが心配しそうだったので、

 

大丈夫、問題ありません。と言って帰ってホテルでゆっくり考えることにした。

 

 

そしてホテルまで送ってもらいプランを練り直すことに。

 

いろいろなことを考えていたら、いつのまにか眠ってしまっていた。


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翌朝、タクシーに乗って、ハンさんの店に行き、デモをするためにハンさんの店の配置を変更させてもらった。

 

十分な広さがあり、いい形になりそうだった。

 

結局30名ほどの方が参加してくれることになり、韓国の花雑誌の取材が入ることになっていた。


 

はじめまして、わたしはタニグチアツシです、、ありがとう、だけは覚えておいた。

 

 

日本のこと、パリのこと、いろんなことを話しながら6つのブーケを束ねた。

 

 

韓国からの目線のことを考えながら話をするのはまた少し自分の視野を広げてくれるものだった。

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デモが終わったあと、きてくれた人たちとのカクテルパーティがあり、

 

 

たくさん話をすることができた。

 

同じ花を綺麗だと感じる人たち同士、国なんてほんとに関係ないなぁと思った。

 

 

パーティが終わったあと、雑誌の取材を受けた。

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なんとも急に思いついたとは思えないほど充実した2日目だ。

 

 

すべてが終わってハンさんとハンさんのスタッフのみんなと打ち上げにいくことに。

 

彼女たちもたくさんの質問を投げかけてきたけど、

 

日本の花屋で働く女の子たちが持っているような悩みと同じだった。

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パリでもそうなんだけど、片言の英語で会話をしていると、

 

簡単なことしか言えない。

 

 

でも、時にはシンプルな言葉のほうが力があることがある。

 

 

このとき、彼女たちの悩みに近いような質問に答えるために考えた言葉は

 

日本語で考えていたら、このときこう答えていなかったかもしれない。

 

 

一番大切なことは、自分が美しいと感じること。

 

日々どんなものに対しても美しさを見出すこと。

 

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自分にも言い聞かせるように言った。

 

 

なんて偉そうなこと言っている人の翌日のブーケレッスンの参加者は二人だけだった。

 

まだまだがんばらねば。

 

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朝市場に連れて行ってもらい二つの市場の様子を知ることができた。

 

これで、なにができてなにができないかが大体わかるので、いつか仕事を頼まれた時の判断の精度があがった。

 

 

レッスンも無事に終え、その後は写真集フラビュラスの営業にあちこちを周り充実した韓国遠征を終えた。

 

 

韓国でお世話になった人たちと再会を約束して空港へ。

 

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日本に帰る飛行機を待っている時に、行動してよかったなと思った。

 

停滞してるパリももっとなんでもやっていこう。と思い、

 

学生ビザでもなんでもとってみようかと進出をサポートしてくれている会社に相談のメールを送った。

 

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そうするとすぐに返事がとどいた。

 

 

谷口さんのビザの問題ですが、

 

まずはレンタルオフィスを借りて、その住所でパリ支店をつくってしまえば、代表者ビザが取れますし、フランスで仕事を始めることも可能です。

 

 

!!!!

 

早く教えてよ!!!


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さっそく手配を依頼した。

 

 

そうだ、空くのを待っている店舗物件のちかくにアトリエを探して、レッスンやレストランなどの生け込みからはじめられる。


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ようやく進みたい方向への進み方が見つかって、動くことができる。

 

じっと我慢できない自分としては本当に嬉しい進展だった。


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また一歩パリに近づける。

 



à suivre 

 

 

 

 

 

 

2015年7月28日

第5話 Misérable.

第5話


Misérable.


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お城でのウェディングの仕事から帰ったら残りの滞在期間中にもしかしたら契約が進むかもしれないと思っていた。

パリ進出で、ビザの取得手続きと契約書のチェックはサポートしてくれる会社を探して依頼していた。

その人たちにもマダムの弁護士から連絡があったらしく、話が進み始めたことを喜んでくれていた。


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しかしここからが一番つらい時期だった。


7月、進展の連絡をまったが、結局なんの連絡もないまま滞在期間が終了。


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来月にもちこしか。。と思ったがパリはほとんどの人たちが8月バカンスをとって働かない。

とくに弁護士同士が話し合いを進めるなんてことはあり得ない。

うちの物件の場合は、判事も関係してくるとかで

9月まで持ち越すことは決定的になった。


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それでも、とにかく毎月20日間パリで過ごし続けた。市場の花を見ておきたかったし、

バカンス時期、未来のアイロニーパリ店の周りがどうなるのかも知っておきたかった。


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とくに16区のいい地域というのはバカンス時期はみんなどこかに行ってしまうので、がらんともぬけの殻になる。

案の定、街はひっそりとしていた。

もし店が無事にスタートしたら、周りと同じように8月は閉めて日本で仕事をしたほうが良さそうだと思った。


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市場も人たちももちろんほとんどのブースがバカンスに入って花は激減していた。

ますます夏にこちらでいい仕事をするのは難しそうだ。


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市場の違い。

これも花屋が海外に進出するときの大きな問題のひとつだ。


よく日本の人たちは、フランスには日本にないような花がたくさんある。と思っている。

花の仕事をしている人でもそう思っている人が多い。


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だけど、俺は日本の市場のほうがはるか品質の高いものが充実していると思っている。

もちろんフランスのほうがいいものもたくさんある。

けど一年を通じて、いろんな花を見ると日本のほうが種類も豊富だし

丁寧に大事に大事に育てられている。

                                          
同じかそれ以上のクオリティをパリでも保つにはそれなりの工夫が必要だ。

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幸いパリのほうが優れている素材というのもたくさんある。

例えばアジサイなんかは、日本でもフランスでもオランダ産のものが流通している。

そして、同じオランダから流通してるものでも、フランスには地続きのためにバケツで水につかったままのものが流通していて

日本に入るオランダ産のアジサイは飛行機で飛んでくるため、一度水は切れてしまう。

そのため、鮮度が少し落ちるのと、もちろん輸送コストが高くなるので一本の売価も高くなる。

フランスでは日本の半分くらいの値段で品質のいいものが流通してるので、もちろん同じ値段で作れるブーケも違ってくる。


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そして一番大きな違いは、生産者の直売ブースがあることだ。

暖かい時期限定ではあるが、フランス国内の生産者たちが、

自分たちで作った花や葉ものや枝ものを持ち込んで販売しているブースがたくさん登場する。


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日本のようにセリにかかることがないので、規格にそろえる必要もなく、自由でのびのびと自然のままに育った素材がたくさん手に入る。


パリの花に違いがあるとするならば、こういった背景が考えらえる。

この特質をしっかり飲み込んだ上で、日本でしてきたアイロニーらしい花をパリでも展開できるようにしていきたい。

そして、日本のアイロニーももっと進化させていきたい。


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違いをひとつひとつ知っていくと、プラスの要素、マイナスの要素がある。

しかし、この進出を成功させるには、マイナスの要素さえもプラスに変えていくような力が必要だ。


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そんなことをひとつひとつ経験して噛み締めながら、じっと進展を待ち続けた。

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どんなに困難でも目標があってそこに向かっていくというのは、あまり苦にならないのだが、

待つ。ということは本当に苦手らしい。


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いまのうちにできることがあるだろうと何度も自分に言い聞かせたが、

裁判の判決もまったく想像がつかず、借りられない可能性はゼロではないという不安も抱えながら

ただただ早く前に進めたいという焦りだけが空回りして他のことにもあまり手をつけられずにいた。


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案の定、8月はだれも連絡がとれず、皆バカンスを楽しんでいるようだった。

約束していた通り、嫁さんと息子をパリに呼んで、2週間ほど撮影の仕事をしながら家族で一緒に過ごした。


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お城での結婚式の花を担当したときの花嫁のお母さんで、クレモンスのいとこでもあるヴェルジニが、

アツシ、家族が来るなら一緒にアヴィニヨンの別荘に遊びにいらっしゃいと呼んでくれていたんだけど、

ヴェルジニが急病に倒れて入院することになった。

幸いヴェルジニは無事だったんだけど、ポッカリ予定の空いた俺たちは予約していた列車をキャンセルして車を借りてモンサンミッシェルなどを旅してまわった。

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5歳でパリデビューとは生意気なやつめと思いながらも、息子とそれほどゆっくり長い時間過ごせたことは彼が生まれてから一度もなかったのでパリのおかげでいい時間が持てたなと思えた。


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9月。

やっとバカンスが開けてパリに人が戻って来る。

このときようやく相手の弁護士と連絡がついたとナターリアから連絡があった。

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7月に彼らはもうすぐ出ていくといった弁護士は解任され、新しい弁護士に変わったということだった。

そして、しかも、なんと。

双方の弁護士、判事、それぞれのバカンスが終わって話し合いが始まるのは10月になりそうだと言い出した。。


おい。フランス。。。

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パリに店を出すときにいろいろな人から、大変だよという話を聞いた。

例えばとある飲食店をオープンさせた人は、店舗を契約してから、工事してオープンするまでが予定より1年遅れたと言っていた。

役所仕事はものすごく待たされる上に、例えば数時間並んでいても昼休憩になったら、はいここまでー。という感じで休憩にはいったり、

とにかく日本では考えられないことがたくさんあるとみんなが口を揃えて言っていたので

それまでは何かあっても、まぁ外国なんだからそんなもんなんだろうと思っていた。



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でも、この時間は本当にきつかった。


ただ待つしかなかった。


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9月も同じように唯一の仕事である「パリであなたの花束を」(100名限定でそれぞれ依頼主をイメージしてブーケを束ねてパリで撮影をして、
プリントして額装したものと100冊限定で作成する写真集というパリ進出のための企画商品)の花の仕入れに行きブーケを束ねてパリの街を練り歩き撮影する。という日々。


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そうこうしている間にひとつ問題が出てきた。


はっきりわかっていなかったおれが勉強不足だったのだが、

毎月20日間パリ10日間日本。このペースで滞在を続けてると、10月にはオーバーステイになってしまうということだった。


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シェンゲン条約というものがあって、

フランスには、ビザなしで 180日のうちに90日は滞在できる。という決まりになっているらしい。


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これは多くの人が、連続3ヶ月はビザなしで滞在できる。と思っていて、

途中で一回日本に帰ったり、どこかの国にでれば、連続ではないので、またリセットされると思っているようだった。

もちろん俺もそうだと思っていて、20日間の滞在を何回も繰り返すというのはなんの問題もないと思っていた。


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だが数年前から、初めの入国から数えて180日の間に90日間以上は滞在してはいけないということになったようだった。


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当初の予定では

物件契約→支社設立→支社代表としてビザ取得 という流れがスムーズということだったが

物件が契約できていないので、もちろん住所もなく支社は作れず、ビザも取れていない。

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オーバーステイになると、今後ビザの取得は難しいので、気をつけてくださいね。と

サポートしてくれている会社から釘を刺された。

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気分が滅入るので、リュクサンブール公園に時々バスケをしに行くようになった。

数年ぶりだったがさすがに20年もしていたので3オン3程度ならまだまだそれなりに出来たし、

フランス人はあまり大きくもないしうまくもなかった。


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何回か行って、よく来ている連中に顔を覚えられて認められてきたころに、

ちょっとエキサイトして残念な40前のおじさんは肉離れを起こした。。。


トボトボと足を引きずりながら帰ったのだが、歩くのも困難なくらいだった。。


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今はパリを歩いて撮影する仕事しかないのに、何やってんだ俺。。


このころは車もなく、仕入れもバスで行っていたので、致命的だった。

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このころ市場で花屋友達のローズバッドのヴァンソンと会うと、アツシ今日もバス?乗ってかえるか?と言ってくれて時々パリまで乗せて帰ってくれてたんだけど

この時ばかりは、ヴァンソンに冗談交じりにこの悲惨な状況の泣き言を言っていた。


店もないし。仕事もないし。話せないし。車もないし。ビザもないし。歩けもしない!

ミゼラブルだ!と。笑。



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ただ、どんなに思い通りにいかなくてもワクワクしている感情が心のどこかで消えることがなかった。

それは人が無理だと思っていることに挑戦していること。

それを成し遂げたときの快感をすでに思い描けている自分がいて、

ちょっとその自分を探せば、イライラはすぐに解決することができた。


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取材などで、仕事で大切にしていることを尋ねられる機会が時々ある。

花屋にとって、一番大切なことは

自分をハッピーな状態に保つことだと答えているし、

スタッフたちに何かあるたびにそういう風に話す。


しかし、もっというと一番いいのは

自分の感情をコントロールできることだと思う。


花というのは心を表す鏡のような存在だ。

気持ちを明るくしてあげる花も必要だし、悲しみに寄り添う花も必要だ。

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もし、自分が花に癒されようと思っているなら、その人は花を仕事にするべきではない。

それを必要としてる人のために、花にさらなる命を吹き込める人。


花屋はそういう人間でいる必要があると思っている。



そして、このときはそういうことをよく考えていた。



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でもやっぱりしんどかったんだろうなぁ。




à suivre

2015年6月22日

第4話 mariage



クレモンスから紹介してもらったナターリアのお母さんの持っている物件は

16区victor-hugo にあった。

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初めて訪れた場所だった。凱旋門のあるシャルルドゴールエトワール駅から2番線に乗り換えて一駅。

ヴィクトルユーゴー駅を降りて地上に上がると、Place Victor-Hugo ビクトルユーゴー広場。

中央に噴水のある大きなロータリーで、凱旋門の周りほどではないがたくさんの車がぐるぐる回っている。

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広場の周りを歩いてみると、あきらかに住んでいる人たちの雰囲気が他と違う感じがした。

身なりが綺麗で、紳士淑女といった感じ。観光客らしき人はそれほどいなくて、

ここは間違いなく高級住宅街だとわかった。

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そして、そういう人たちがたくさん行き交っていて、活気があった。


紹介してもらった物件は広場に面した教会の左となりの通りを50メートルほど入ったところ。

3 rue mesnil 

メニル通り3番地
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3番地の建物には4つの店舗があり、二つの店舗に売り物件という張り紙が出ている。

ひとつは綺麗めのエピスリーでここはもう営業はしていなかった。

もうひとつはフィリピン系の生活雑貨店、めっちゃピンクの外観でパリらしさのかけらもない。。

すぐにクレモンスに連絡して、どっちかな?と聞くと。

ちょっと待ってと、ナターリアに連絡して聞いてみてくれた。


pink one! 


という返事が返ってきた。笑。


こっちか。。工事費は少し高くなりそうだけど、場所は申し分ない。

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さて条件と複雑な事情というのはなんだろうと。

ナターリアにコンタクト取ってみる。


家賃は少し高かったが、3倍ほどの広さがあった。

ナターリアはミラノで暮らしているらしく、詳しいことはお母さんである物件オーナーマダムと会って話をして欲しいという。

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マダムピションと数日後に会って話を聞くことになった。

ちょっと複雑な話ということで俺の英語では理解できないといけないので

友人に同席してもらうことにした。


当日は物件には入らず、直ぐに建物の上にあるマダムピションの部屋に通された。

ピションさんはとても上品なお金持ちマダムという感じで、部屋は広く豪華でクラシカルなホテルのような雰囲気だった。

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フラビュラスを見せて、貸してもらえるようになんとか売り込もうとすると、

マダムは、ウェブサイトで見せてもらったわ、

とても素晴らしい、あなたの店が私たちの建物にできることがとても楽しみだと言ってくれた。


そしてお手伝いさんがコーヒーを持ってきてくれたところで、複雑な事情とやらを話始めた。

はじめは俺にもわかるように、英語で話してくれていたが、

この話は友人とフランス語で話してもらった。

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どうやら、フィリピンの生活雑貨店の人たちが契約違反をして、飲食店のようなことを始めたので、

住人たちから苦情がでて、警官などがくる騒ぎになった。

マダムは、契約解除の裁判をしているところなのだという。


今は彼らも物件を売りに出しているが、もうすぐ退去になり、退去になれば営業権の売買なしで、

あなたとの賃貸契約だけで、入ってもらえる。

判決はもうすぐ出る。

しかし、裁判が長引くこともある。

もしあなたが、営業権を買い取る予算があるなら、その額を彼らに伝えることもできる。



という話だった。


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なんとなく、追い出されようとしている人たちに、同じ外国人として後ろめたい気持ちがあったが、

勝手に飲食店って無茶苦茶するなぁ。という気持ちもあった。


なにより、アイロニーの花を気に入ってくれる人が入って欲しいといってくれているところで始めたいという気持ちが一番大きかった。



判決を待ちますと伝えてマダムピションの家を後にした。

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帰りがけにマダムの家の壁にたくさんかかっている絵画をみて、

余分に広いスペースは、アートギャラリーを併設して、家賃の高い分を補おうと思いついた。

日本からパリに挑戦したい人たちの足がかりにもなるし、パリのいろいろなアーティストたちとも新たな交流が持てるかもしれない。


少し光が見えてきたような気がした。

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その後しばらくして、クレモンスと約束していたいとこの結婚式の装花を手伝う日がきた。

クレモンスは、数日前から、何度も連絡してきて、ほんとに手伝ってくれるんだよね?

ちゃんと覚えてるよね?とイマイチ言葉の通じていない、なんでもいいよOKという男が心配そうだった。

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朝クレモンスが、滞在先のオデオンのアパートの前まで車で迎えに来てくれた。

いざランジスへ。


クレモンスの弟のグレゴリーは日本でも名前の知られている、パリの有名店ラルチザンフローリストのオーナー。

クレモンスも10年ほど前にはランジスのなかにあるテナントを借りて旅行者を相手にブーケを作って販売したり

パリ市内のホテル数件と契約をして花を活けていたりしたらしい。

ランジスまでの車中でいろいろと詳しく話を聞いてみる。

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この結婚式の花嫁はクレモンスのいとこであるヴェルジニの娘だという。

クレモンスとグレゴリーが小さい頃はヴェルジニが車にのせあちこちに連れて行ってくれたんだとか。

ヴェルジニは離婚してから一人で花嫁であるリリを育てたとか、グレゴリーは自分の仕事が忙しくて今回手伝ってくれないとか、

徐々にいろんなことがなんとなくわかってきた。

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クレモンスは、花の仕事をしていただけあってか、俺の気分をすごくよく読み取ることができる。

おれが適当な返事をしていてもすぐに見抜いて、わかるような英語で説明してくれる。


これはなぜかはわからないけど、たくさんの友達ができた今でも、クレモンスが一番苦労なく英語で話ができる。

みんなにぜひそのコツを教えてあげて欲しい。

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さて、そうこう言っている間にランジスに到着。

クレモンスは10年ぶりのランジスだったようだが、知り合いがたくさんいて、いろいろな人と再会を喜び合っていた。

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予算を聞いて、イメージを聞いて、必要な花をピックしていく。

初のパリでの大きな仕事。たくさん花が買えるのは楽しい。


綺麗な紫陽花とバラを中心にグラミネや葉っぱをたくさん買った。

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郊外の式場だということで、多分周りの山で木を切ったりできるだろうと、大きな枝物なんかは現地調達にしようと話をした。

器も必要だったので、ヴェルジニも車で荷物をのせに来てくれた。

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ヴェルジニは話に聞いてた通りのノリのいい感じのお母さんで、とても歓迎してくれていた。

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荷物を積み込んでいざ式場に向かう。前日の今日準備をして、明日が式当日、明後日も家族だけのブランチのようなものを式場でするらしい。

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ヴェルジニの車の後ろについてはフォンテーヌブローのほうに車はむかっていっているようだった。途中急に舗装されていない脇道へ入ったと思うと

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広大な敷地が見え、お城が見えてきた。

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よくわかっていなかったが、うわさに聞いていた郊外の城を借りての結婚式だった。

貴族たちは、先祖からこういう城を受け継いでいくものの、昔のような収入はないので、維持していくために

ホテルにしたり、こういうイベント時に貸し出しをしたりしているらしく、

結婚式がよく行われるとは聞いていた。

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城の庭のほうに入っていくと大きな白いイベント用のテントが張られていて、そこが会場になるようだ。

前日のその日は、ごくごく親しい親族や新郎新婦の友人だけが来て、準備を手伝っていた。



日本のようなかしこまったり、時間に区切られまくっている雰囲気ではなくてみなワイワイと楽しんでいて

映画でみるような世界だった。

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テントのなかにテーブルを用意して、クレモンス、ヴェルジニ、リリの親友のソレンが手伝ってくれるというので

みなにカタコトで指示をだして、準備を進めていく。


これに関しては言葉もなにも困ることはなく、いつものように仕事ができる。

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クレモンスにはおれがつくった見本を見て同じものをつくってもらい、

ヴェルジニに下処理などのサポートについてもらい、ソレンにはおれの素材の下処理のサポートしてもらって

4人でテーブルの装飾を仕上げた。

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はじめは誰だこの日本人という雰囲気だった人たちもはじめに束ねた見本のブーケを見た途端、アツシお腹空いてない?

飲み物のむ?と急に親切になったのが面白かった。

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ゲストテーブルとメインテーブルを仕上げて、教会の椅子につける花をつくったところで、

前日の準備は終わりにして、今日の宿となるクレモンスのパートナーの別荘にいくことになった。


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翌朝は昼までに少し離れたところにある教会の装花を終わらせて、夕方から披露宴だ。

披露宴にはどうやらおれも招待してくれるらしかった。

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クレモンスの車で一時間ほどさらに南に車を走らせた田舎町、田園風景が広がる中にあわられた外壁の前で

着いたわ。とクレモンスがいった。

おじさんが出てきて門を開けてくれると、そこにも立派なお屋敷があった。

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数日前に、クレモンスが見せてくれたプールや庭や建物の写真は式場ではなくて、どうやらこの別荘だったようだ。


車で屋敷の近くまで行くと、たくさんの犬たちと、屋敷の主人であるジルが

ピアース・ブロスナンをやさしくした感じで出てきた。。

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ジルはよく来たねとクレモンスと一緒に改装したというセンスよすぎるお屋敷を案内してくれ、ぐるっと一周まわった庭に

キャンドルや花を飾った夕食のテーブルセッティングをしてくれていた。

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これをおもてなしと呼ばずになんと呼ぶのだろう。


料理は屋敷を管理して野菜などを育てているギーがしてくれているとようだった。

近くの肉屋からいい肉を仕入れてくれたようだ。

野菜やフルーツはすべて庭で彼がつくっているものだという。

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犬たちは食事中ずっとまわりにおとなしくすわっていて、絵に描いたような幸せなディナーだった。


クレモンスとジルは、アツシの泊まる部屋ついて前日にケンカをしたという話をしていた。

ジルは、離れがシャワーも風呂も気兼ねなく使えるし快適だといったが、

クレモンスは、アツシは特別なゲストだから離れじゃだめだと言ったらしい。

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どっちがいい?と聞くので、気を使わない離れがいいと言った。


離れも綺麗に改装されていて、3つのベッドルームどれをつかってもいいといってくれ、風呂とシャワーが二つあった。

なんて素敵な生活なんだろう。


自然の美しいところに、人を招いて喜んでもらう。

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土や木がくれるパワーというのがある。そういうのがものすごく感じられる場所だった。

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その夜は泥のように眠って、翌朝、ジルと敷地の森に木を切りに行った。

カタコトだけどいろいろな話をした。

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ジルは、この辺りは戦争があったから、アツシの泊まっている離れにはドイツ兵の幽霊が出たいう人もいたんだよ。と言った。

oh my god! I can't speak also German. というとウケていた。

カタコト英語でも笑いがとれるようになってきたぜと手応えをつかんだ一瞬だった。

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帰ってきて、3人でギーの用意してくれた朝食を食べて、教会の装花に向かう。

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いい枝があったので、教会の花もなかなかいい感じに仕上がった。


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その後、披露宴会場に戻っての花のセッティング。いい感じ。悲しいかな空間というのは何より大事な要素だ。

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いくら花をがんばっても空間が冴えないと生かすことはできない。

おれがパリにきたかった理由の大きな一つだ。


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ジルの屋敷に戻ってまたギーの用意してくれた昼食を食べた。ほんとうに滋養味というのかパワーがあってうまい野菜と肉たち。

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クレモンスが連日の引っ越しの準備などで疲れているので教会での式には参加せずに披露宴まで昼寝することにした。



夕方目が覚めて、ジャケットを羽織って屋敷へいくとかっこいい二人が登場。

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車にのって披露宴会場につくとたくさんの人がきていた。こどもたちもドレスアップしていてかわいい。

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ちゃんとアツシタニグチと席次表にも書かれている。

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たくさんの人が声をかけてくれて花を褒めてくれた。

その度にクレモンスが誰だか紹介してくれるんだけど、元旦那とか元奥さんとかエックスがやたらと飛び交っていてフランスらしさを感じた。

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フランスの披露宴で感じたことは、プロの司会みたいな人はいなくても、わきあいあいといい雰囲気でパーティは進んでいくということ。

親族のスピーチなんかも同じようにあるけども、みなとても自然で形式ばった雰囲気がないということ。

子供達は子供達だけのテーブルにすわって大人のようにしているということ。

とにかく長く、つぎからつぎへと料理が出てきて、踊ったり、深夜まで続く長丁場だということ。

もちろん子供達もこの日ばかりは夜遅くまで飛び跳ねて一緒にパーティを楽しむ。

それにしても急に現れたアジア人にみんな友達のように接してくれて温かさを感じた1日だった。


まだみんな踊っていたが、クレモンスの体調もあまりよくないので、ジルと3人で1時頃に帰ろうということになった。

屋敷について、ジルがアツシなにかもう少し飲んでいくかい?と聞いてくれたけど、ううん、もう充分ハッピーだから寝るよと言って

二人にビズをして、ふらふらと離れにもどった。


湯船につかったあと一番景色がいい部屋のベッドに横になったけど楽しかったいろいろな場面が頭を巡ってなかなか眠れなかった。

披露宴の最中。ヴェルジニの弟、リリの叔父さんがスピーチをした。

もちろんフランス語だから、なにも聞き取れなかった。


でも、クレモンスからヴェルジニのことを聞いていたし、
前日からみなと一緒に準備をしていて、彼が話していることがなんとなくわかった。

中盤から聞いている人たち全員の空気が変わって、話終わったあと会場中が感動に包まれたことを肌で感じた。

リリは泣きながら、叔父さんにキスをして、そのあとヴェルジニとも抱き合った。

言葉がわかっていない俺にも伝わるくらいのスピーチだった。

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フランスでも日本でも同じように幸せで特別な1日というものがあって

その日には花を飾る。


花屋の仕事は誰かのそんな1日に立ち会うことができる。

その日をより美しく彩ることができる。


それがたとえ言葉の通じない異国でも。
 
 


この仕事を選んでよかったなぁとしみじみ思いながら、

ドイツ兵が出てこないうちに早く眠ろうと思って目を閉じた。。



この夢のような結婚式の週末にひとつの嬉しいメッセージが届いていた。


ナターリアからだ。


フィリピンの人たちの弁護士は2週間以内に鍵を返して出て行くといっている。

はやければ今月中に私たちは契約の話をするために会う必要がある。
あなたに会えるのを楽しみにしているわ。

ナターリア





すべてがうまく進み始めたように思えた週末だった。

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