Juli 3, 2008

Chapitre01 Madeleine

8月のバカンスを除いて、この6月から9月までは、
大きな結婚式の装花が続々と続く、我らがバティスト。

その口火を切る大きな結婚式が、パリから南へ160キロ離れた
とある田舎町であった。

お店でこしらえた卓上装花以外は、
かすみ草500本、大きな鉄のスタンド2体のみという内容。
トラックに積み込んで、さて、はるばる2時間かけてやって来た。

まず、会場近くの村の中にある小さな教会の飾り付け。
そこでは、持って来たスタンドとかすみ草を下ろした。
小さくも味のある教会の中央に備え付けられた鉄格子に
そのスタンドを固定させて、手際よくオアシスを積み立てるバティスト。

やがて出来上がった土台の表側に、持って来たかすみ草を
勢い良く生け始めた。かなり大きなアレンジが3分もしない間に
仕上がっていく。
「ケン、裏に座る人も居るから、同じように生けて。」
と、突然の指令。
あなたの早さにはついていけないです、と言いたかったが、
負けじと3分少々で完成。
それを同じようにもう1台作って完成。


相変わらずシンプルで迫力のアレンジの作る方である。
しかし、この後、さらにびっくりする行動に出る。

場所を移動し、近くの、会場となる大きな施設に入り、
メインとなる大きな白いテントの中を確認した途端、
会場の地主の許可を得て、森の中へと入っていくぼくとバティスト。

目的地に着き、車からおもむろに取り出したのは、チェーンソー。
そう、今回、お店から何も持ってこなかったのは、
この森で木を切って飾るためであったのである。


「ブウーン、ブルルーン」
おおきなバイクのような音を立てて、
慣れた手つきで次々にお目当ての木を切っていくバティスト。
その横で倒れて来る大木を受け止めるぼく。
白樺の細い木を主に切り倒すこと、40本。
トラックに溢れんばかりの木が集まった。


さて、再び会場入りし、切って来た木を運び入れ、
それを会場内部の壁に次々に括り付けていく。
20分もしないうちに、殺風景だった会場が
緑で溢れんばかりの、さわやかな雰囲気になった。


ここで、しばし休憩。
この日のためにパリから集まったあらゆる業者さんが
みんな庭に集まって即席バイキングを楽しんだ。
ぼくは、落ち着いて会場の周りを見渡してみた。
それはそれは、これ以上にない、
見事な自然の景観に恵まれた場所だった。


こんなにも素敵な場所で、明日になれば、結婚する二人は祝福され、
大らかに流れる小川と、優しく並び立つ木々の中で
忘れられない時間を過ごすんだろう。
きっと二人はその時間を大切にすることで
これからもずっと幸せにやっていけるはずである。

日本に持ち帰って、これから結婚していく人達にも
是非味わってもらいたいと思うほど、
結婚式のあり方を考えさせられた。

さて、すべての土台が完了して、あとは卓上装花を置くのみと
なったところで、カメラが突然の電池切れ。
残念ながら、この出来上がった壮大な風景はお伝えできませんが、
頭いっぱいに想像を膨らまして楽しんでください。

最後に。
結婚する二人にたくさんのしあわせがありますように。

*注 今回は森の地主の許可を得て木を切っています。
   森の木は、大切に。

Juni 14, 2008

Chapitre 01 Chateau Rouge

パリ、モード界の帝王と言われたイブ:サンローラン氏が6月1日に亡くなった。
ぼくは、そのニュースを、その日、配達途中の車の中で、突然バティストに聞かされた。
しかも、驚いた事に、その葬儀の装飾を、イブ:サンローラン:リブ:ゴーシュのメゾンからご依頼頂いたのだと言う。

こりゃとんでもない仕事が入ったと思っていたのもつかの間、翌日早朝から2千本近いカサブランカをはじめ、その他花々がいっぱい入荷して来た。
葬儀はその3日後にあったのだけど、それまでに百合はいい感じに咲かせて、もちろん花粉という花粉を取って、使用する花器台は、相変わらず手作りでこしらえて、しかももちろん忙しい日常業務もこなしつつ、とうとう装飾の日を迎えた。

会場は、パリの数ある教会の中でも、とても趣も深く、歴史あるサン:ロック教会で行われた。
教会椅子が並ぶ道の脇には、既に、老舗花店「moulie」によるとても豪華なジャスミンの装飾がなされていた。
そして、それにそって、ずらっと並ぶ、いつもより豪華な椅子群。
座席を見ると、明日ここに座るそうそうたる面々の名前が書かれた紙が乗せてあった。
「ニコラ:サルコジ 現大統領」 「シラク 前大統領」「カトリーヌ:ドヌーブ」 「ジョン.ガリアーノ」「ジャンポール・ゴルチエ」「ソニア.リキエル」「ヴァレンチノ」「ランヴァンのアルベール・エルバズ」「クラウディア:シファー」 「タカダケンゾウ」などなど、大統領、大女優から、新旧デザイナーに、スーパーモデルまで
業界を代表する著名人の名前が連ねてあった。
これを見るだけで、身が震える想いになった。
ある大きな歴史の1ページの瞬間に自分が居ることにとても感動していた。
ふと隣を見ると、うちのお抱えの花配達おじさんこと、クリスチャンも興奮気味に奥さんに電話をしている。
「おい!聞いてくれ、サルコジ大統領の隣の席は、今話題の新しい奥さんだ!
おい!カトリーヌ:ドヌーブも来るぞ!」
フランス人とてやはりこの状況は興奮するらしい。


装飾は、メインとなる5体の大きな装飾と、ステージの淵に置く帯状のアレンジ、そして、その他、各有名メゾンからの贈り花であった。
もちろん、それ以外にも溢れんばかりの花々がいろんな方々から送られて来ていたが、それらはすべて教会の外側に並べられた。

さて、この日のためにせっせとこしらえた真っ黒の花台におとな三人掛かりで運ぶとても重い青銅の大きな花器を置きそこに各器ともに200本ほどのカサブランカと、枝もの、足下にアスパラガスを垂らして、それを5体並べた。
圧巻。大きな装花を高い花台に乗せて見上げる様は、もはや花を見ているというより、巨大な芸術を見ていると言った方が分かりやすい。

後ろに施されたジャスミンの壁が、さらにその雰囲気を一層壮大なものにして、教会の崇高な雰囲気も手伝って、もういつの時代に生きているのかさえも
分からなくなってしまうほどだった。

メインの装花は、すべてバティストが施したが、そのアシスタントをしていたボクに最後に大事な仕事が与えられた。
その5体の装花の足下に最後にアスパラガスをたくさん垂らすという締めの装飾を任せてもらった。
しかし、細長い台に、重たい花器、200本の百合である。すこしでも強くあたるとすべてを倒しかねない。
変な汗をいっぱいかきながら、ぼくは5体すべてに最後の装飾をした。

その装花が終わる頃には、各メゾンからの花も到着し始めた。
大体すべてが、昔ながらの形で、大きく平べったいアレンジだった。
そんななか、一体だけおおきな白いリース状の花が届いた。
イーゼルもモスなどで施されていて、それはとても目を引いた。クリスチャン:ディオールからのその花は、パリの花業界の維新児、エリック:ショバンによるものだった。
今ままでにない花を。
彼らしい、勢いのある花だった。


その他にも、いろんな花屋の、それぞれのスタイルを一斉に拝見できた。
やはりみんなそれぞれ、十人十色の花である。
モダンな花、創作意欲の溢れた花、
昔ながらの花、とびきりおとなっぽい花。

白一色なのに、花は本当にいろんな顔を見せる。


準備も無事終了し、葬儀も世界の注目の中、終了した。
さて、汗水垂らしてやっと仕上げたこの花を、あっという間に撤去である。
しかも、撤去は、ぼくと相棒ジェロームの二人だけに託された。

再び現地について呆然とした。

二人で片付けられる量ではなかったからだ。

やれやれ、という顔をして、ジェロームがひと言。

「Ben... On y va!」さて、やるか。

かくして、咲き誇ったゆりの花粉を頭からつま先までいっぱいにつけて
半日かけて片付けたぼくらは、1日の仕事後、地下鉄に乗って、同乗した乗客に笑われながら家路についたのでした。


Mai 31, 2008

Chapitre 01 Rue du Bac

Chapitre 01 Rue du Bac


のんびり月2回のペースでコラムを書いていると、
あっという間に2ヶ月が経った。
この間書いたコラムを読み直したら、
ずっと前に書いたような気にもなるくらい、
中身の濃い、長い時間が、でもあっという間に
過ぎていった気がする。

という訳で、少し時計を早めて、
今の仕事に追いつこうと思う。
奇しくも、今日は、日本のそれから遅れること2週間、
母の日であったので、その話題でも。

前日までに、恐ろしいほどの花が入荷してきて、
連日の花の処理、店の仕事、生け込み、配達が
重なり、みんな気持ちの悪いテンションで仕事をしていた。

ちなみに入ってきた花は、シャクヤク2800本、
バラ(種類色々)600から700本、アジサイ30から40本、
その他、小花類,計量不可。


さて、今朝、仕事場に行くと、みんな疲れがピークなのにも
関わらず、相変わらず高めのテンションで
ワイワイ盛り上がっている。
5分ほど遅刻して入っていったボクを見つけると、
バティストの一声目。
「おっ!来た来た。昨日もお姉ちゃんと遅くまで遊んでたんか。
そら起きられへんなあ。」
続いて、配達のおっちゃん、クリスチャンがひと言、
「あらら、まじで!どんな子やったん?」
で最後にシェフ:フルーリスト、ジェロームが締めのひと言。
「メッチャお尻の大きいおばちゃんですよ。」
で、みんな大爆笑。
で、ぼく、一人であきれ顔。

さておき、最初のお客さんが来店すると、
そこからは、息つく暇も無く、午後2時くらいまで、
接客と、ブーケ制作の繰り返し繰り返し。
山のようにあった花が、文字通り、見る見るうちに
無くなっていった。

ごちゃごちゃになった作業場の片隅で、
一息、みんなでサンドイッチを作って、食べながら、
またありもしないボクのお姉ちゃん話で、
ギャーギャー盛り上がって、再び作業へ。

そこからは、母の日の接客と、明日のホテル、メゾンへの
配達分を作りながら、お店の片付けをはじめる。

最終的に4時には、明日の分を残して、
花がすべて無くなったので、
お店を急いで締めて、明日からの打ち合わせ。

このバタバタした母の日が終わっても、
明日から数日間、「Bastille:OPERA」というオペラ座で
かなり大きな装飾が入っている。

朝4時から、夜12時までという仕事が
2、3日間続くらしい。

とは言え、テンションは変わらず、みんなでいそいそと
カフェへ。ここでも、カフェのオーナーのおっちゃんも交えて、
お姉ちゃん話で、ドッカンドッカン、大盛り上がり。
フランス人は本当に明るい。
最後の落ちを自分が自分がと、競い合う様に言うところなんて
まったく関西人のそれと変わらない。
「くそっ、もっとフランス語が話せたら、おれがすべて落ちを
持っていけるタイミングやのに。。」と悔やむ事多々。

ともあれ、疲れを感じさせないとは、こういう事を言うんだなと、
ある意味大事な事を学んだ母の日であった。

Mai 11, 2008

Chapitre 01 Charles de Gaulle Etoile

ぼくは、このコラムで、同じ花を志す人たちに夢を伝えていきたいと思うが、
どこにでもあるような、「パリの有名フルーリストでちょいちょい働いてきました。」
みたいな感じで取られると、この現実がまったく伝わらないので、今ある事柄、感じた事を自分の経験を通してありのままに書くつもりでいる。

パリのフルーリストでの現状。
厳しい事を書くようだが、日本であまりにもパリの流行ばかりが先走りすぎて、花の事をなんにも知らずにパリに来て、言葉も必死になって覚える気もなく紹介で入ったフルーリストで、言われた事だけをして、しかもいいように使われて、何も言わず掃除だけして帰るようなひとが多い。
それで何ヶ月も絶えれなくて辞めていく。
自分はやる気で来てると見せる時に、まず向こうの反応が大きな壁になった。
日本人は弱くて、都合のいい存在というレッテルが出来てしまっているからだ。

マイナスからはじめる訳で、同じ事を仕上げるにしても、普通に仕上げてるだけでは、それがプラスになるどころか、少しも印象に残らない。
前にも述べたが、かなり手際よくしないとこちらのスピードにはついていけない
し、その中でも自分の最高の花を仕上げないと、作ったものもポイッと捨てられる。

厳しいとか、やり方を教えてもらってないとか、そんなあまい問題じゃない。
ここは、ただ実力社会の世界ということ。

認められたら仕事がどんどんもらえるけれど、小便みたいな仕事を一度すると、次の瞬間から仕事をもらえなくなる。
そこでやる気が無くなったところなんて見せたりしたら、居てるのか居てないのか分からない様な扱いを受ける。
実際に何度も何度も、自分も含めて、その状況を見てきた。
そしてこうやって言っている今日も、また一人掃除の子が辞めていった。

でも、だからこそ、いつも本気になれる。
だからこそ、ここには本物が存在する。
歴史だけではない、花屋としてのプライドをみんなが持って仕事をしている。

ところでオーナーのバティストは、35歳で、ボクと4つしか変わらないが、花屋歴は、17、8年にもなる。
パリの花業界の重鎮、ジョルジュ:フランソワ氏のもとで修行をして、
20歳で独立をしたので、彼のお店は15年目で、もう老舗と言ってもいいくらいのどっしりとした雰囲気がある。

普段は、とても懐が深く、ボクにも分かる様なジョークを言ってくれるほど優しい人柄が溢れているオーナーだけれど、
一旦仕事に入ると、作業場の空気が一瞬にして変わる。
気持ちのいい緊張感と、慣れないうちはきりきり胃が痛むような独特のプレッシャーが漂い始める。

伝えていくべき厳格で歴史ある花の文化と、
それを担う新旧カリスマ達のプライドと誇り。

それが理解できる日本の若いフルーリストに学びにきてほしいと思う。
そして、ぼくがその橋にいつか成れたらと思っている。

April 18, 2008

Chapitre 01 Strasbourg - Saint Denis

ここに一枚の絵がある。

ひょっとして、見覚えがある方もいるかもしれない。
10年ほど前、「花時間」という雑誌に、
今ほど注目されていなかったパリの花屋さん特集の
記事が載っていた。

ちょうど、ぼくも花屋になって2、3年経った頃だ。
そして、その特集の中に、この絵が飾ってある花屋さんが
取り上げられていた。
ぼくは、この絵が飾られた花屋さんの店の雰囲気に
とても感動して、いつかこんなお店が持ちたいと願った。

そして、いつか自分がそんなお店を持ったときにと思い、
この写真の絵を油絵で模写して、出来るだけ忠実に再現して、
その出来た絵をいつかそんな自分のお店に飾れる日を夢見て、修行していた。

その絵は、気がつけば実家の倉庫に追いやられてしまったのだけど、
それでも、頭の中には、それがボクの理想として、
ずっとあり続けていた。

さて、話は変わって、バティストでの初日を迎えた。
彼は、ぼくに初日から、入っていた注文のブーケを
大方すべて作らせた。
おそらく何かを確認するためだったのだろうけど、
どこまで応えるべきかも分からなかったので、
とにかく持ち得るすべての自分の花をだして、
あとは、とにかく素早く仕上げる事に専念した。


感じた事を言うと、パリは、花屋が職人として位置づけられている。
日本の流行のように、奇をてらったもの、モダンと言われるもの、
見た目のお洒落ばかりが先行した仕事とは違い、
とにかく素早く、そしてその中でも、一本一本の処理をきちっと施し、
仕上げる形も徹底して綺麗く保たれている。

そこそこの時間のなかで、繊細で分かりにくい物は、
誰にでもつくれるけれど、それでは花屋が花屋である意味が無い。

自分は、日本にいたときから、仕事の手際は人一倍よい方だと思っていたが、
バティストの仕事っぷりを見ていると、
まだまだ自分には余計な動きが多い事に気づかされる。

そして、バティストの、そんな仕事をこなす背中を見ているだけで、
学ぶ事が山ほどある事を、改めて想う。


さて、話は戻って、その初日。
作業場に入って行くと、
オーナーの部屋のドアに一枚の絵が飾ってあった。

ぼくは、夢を見たように、一瞬立ち止まって、動けなくなった。

そう、ぼくがこの10年、ずっと目指していた、
あの日、あの本で見た、お花屋さんの絵だった。

ぼくは、すうっと寒イボが立ち、そして、

ほっとうなづいた。

そういうことなのだ。

いろんな道を通ってきたけれど、
長い時間をかけて、ひとつ夢が叶っていたのだ。


April 5, 2008

chapitre 01  Vaneau

いつ頃からだったか、もうお花を見ることさえも嫌になっていた。

日本のホテルの花屋で5年、独立して、
自分の色一色の花屋「6contents」として6年活動していた。
大きな仕事も、毎日のお店の仕事も、たくさんたくさんこなして、
無我夢中で突っ走っていた。
しかし、そんな日々の中で、もう取り返しのつかないくらいの
空虚感が大きく形をなしていた。

「自分の花には、中身がない。」

そう思い始めてから、ボクは、もう一度お花を始めた頃のように戻って、
今度は中身のある花をしっかり身につける仕事をしたいと思った。
そうしなければ、もう先に一歩も進めなかった。
そのために、大きな意味を伴う長い歴史があり、
クラシックな花とモダンなスタイルの花が共存する
フランスで出直そうと心に決め、
たくさん想いを込めた自分のお店を閉めて、
ぼくは、片道切符を手にパリにやって来た。


「エリック:ショバン」「セバスチャン:マンゴジ」「クリスチャン:モレル」
「オリビエ:ピトゥ」「ステファン:シャペル」「パスカル:ミューテル」など

今のパリの花業界を引っ張るそうそうたる花屋を歩いて回り、
自分の心が動いたお店に飛び込もうと思っていた。

あるお店の前で、ボクは足を止め、導かれるようにお店に入った。
そこにいるだけでとても気持ちがよくて、
花はとても生き生きとし、いつの時代かわからないような
独特のクラシックな雰囲気と、モダンな花の飾り方がなされていた。
そして、なにより、言葉では表せないような、体を包み込む優しい雰囲気が
ごちゃごちゃに絡まっていたボクの頭のひもをスルッとほどいた。


ここで働きたいと心から思えた。
花屋の名前は、「BAPTISTE」 バティストといい、
今や、パリを代表する花屋だった。

偶然その場に居合わせたオーナーは、日本から突然やって来たぼくの
言葉にひとつひとつうなずいて、ゆっくりとこう言ってくださった。

「いいですよ。いつから来ますか?」

ぼくは、間髪入れることなく、はっきりと大きな声で答えた。
「明日から来ます!」

こうして、ボクの花屋人生の第二幕が始まった。


息上がるままに、パリを一望できるモンマルトルの丘にやって来た。

今年はもう見ることがないか、と思ってやって来た桜が
サクレクール寺院の麓で満開に咲き誇っていた。

一度は辞めようかとも思っていた花屋の仕事だったけど、
それは本心じゃなかったことに気がついた。

なぜなら、涙が止まらないほど、幸せだと感じたから。


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